私はよくあります!
- 朝なかなか起きられない娘を車で送っていくのは…?
- 欲しがるものをすぐに買ってあげるのは…?
- 一階で寝落ちした娘を二階まで運び上げるのは…?
アドラー心理学では「課題の分離」が重要な要素です。
この記事では
- 課題の分離とその例
- 子育てで難しくなっている要因
についてお伝えします。
課題の分離とは
課題の分離とは、「これは誰の課題か」を考えることです。
次の2点がポイントです。
- 自分の課題に立ち向かうこと
- 相手の課題に介入しないこと
相手の課題は肩代わりできない
子育てや教育、支援をするときに、
つい「世話焼き」をしてしまうことがあります。
- 小さな子が登れない場所を抱っこして登らせてあげる
- 着替えや靴をはくのを手伝う
- お菓子を食べたい要求に応える…etc.
実は私はかなりやりがち(;’∀’)
これは後でまた述べるのですが、
娘が赤ちゃんの頃、「要求はできる限り応えてあげるのだ」と思って育児していたからです。
愛情を伝えることは大切ですが、
相手の課題を肩代わりすることは「甘やかし」になります。
「誰の課題なのか?」を知る方法は、
それを続けた結果、困るのは誰か?
ということで判断します。
たとえば…
宿題をやらないことで最終的に困るのは子どもです。
親は助言することはできても、子どもの人生を肩代わりすることはできません。
そのやきもきする気持ちに向き合うことは親自身の課題です。
失敗に向き合うのは子どもの課題であり、
親がやるべきことは子どもが課題を乗り越えられるように「勇気づけ」をすることです。
子育てで課題の分離を難しくしている要因
超日本式育児
1980年代に「超日本式育児」が登場しました。
これは、
- 赤ちゃんが泣けば飲ます
- せがまれれば抱っこする
- 夜は添い寝
- 無理な断乳はしない
など、赤ちゃんの欲求にはできるだけ応えるという姿勢の育児です。
この方式で注意することは、
- 「子どもが本当に求めているものは?」という視点が欠けがちになる
- 「どの程度我慢させる?」というしつけ的な対処をすべきときに迷ってしまう
ということです。
子どもの要求に反射的に応えていると、
子どもの本当の欲求を考えないまま、要求に応えてしまいがちです。
何となくさみしい…というときでも
泣けばおっぱいをもらえるのでおっぱい=安心となり、
本当の欲求を赤ちゃんと母親の両者ともに把握できていなかったりします。
また、子どもが成長してきてからも
できるだけ要求に応えるというそのままの育児を続けてしまい
どこで我慢をさせるべきかという問題で迷ってしまうのです。
社会的な価値観の変化と多様化
現代は、他人に迷惑をかけなければ自分の好きにしてよいという文化様式です。
一人一人それぞれの幸せのかたちを認め、個人の欲望を肯定する社会に変わってきました。
子育ても家庭ごとの私的な行いとなり、共同体の中での位置づけが希薄になっています。
私たちはモノがあふれ、快適な生活を実現していく文化様式のなかにいるので、
子どもにも物質的な快適さを与えていくことが当然になります。
超日本式育児の「子どもの要求にはできるだけ応える」という視点、
また、現代の文化様式の「子どもに快適さを与える」という視点から
- 子どもが傷つかないように
- なるべく失敗しないように
と、親が先回りして子どもの課題に踏み込んでしまうことがあるのです。
まとめ 成長視点を忘れない
子育てや教育の目的は、
子どもが自分の課題に立ち向かい、解決できるようになることです。
人は(子どもも大人も)
失敗すること、自分の行動の結末を経験することを通して学ぶことができます。
母親と乳幼児は距離が近いため
本来は「子どもの課題」であるはずのことを
親が「自分の課題」だと思ってしまいがちです。
「誰の課題なのか」という視点を持つことで
子どもの成長に必要なことに目を向けていくことができます。