受け入れられることの力

卒業でいただいた「寄せ書き」から感じたこと

 

娘はこの春、3年間通った森のようちえんを卒園しました。

3月20日、河原での卒園式。

 

切り株でできた、先生手作りの卒業証書。

在園児や在園母、OB卒業生や母からのプレゼント。

歌やことば、楽器演奏、そしてつなひき(!)

 

盛りだくさん、花びらと、涙と笑いにあふれる中、

今年は「お母さんの卒業式」もやっていただいたんです。

 

 

並んだ在園母、先生たちの、つないだ手でつくったアーチの下をくぐり抜け、

先生から卒業証書をいただきました。

 

これは、お母さんたちがつくってくれた寄せ書きbookだったのですが…。

寄せ書きの余白に、3年間の写真と、

色鉛筆や絵の具でたくさんのことばと絵がかかれていました。

 

あなたは、動物ならこんなイメージ、

色でいうと、何色、

小さなエピソード…

 

あふれるほど、私のことを考え、イメージして、

いいところを見てくれて、いいことばかり書いてくれている…

 

こんなに、ただひたすら、

そのままの自分が「ある」ことを認められて、

受け入れられることって、

ふだんの暮らしではなかなかないかも知れない。

 

とくに、大人になると、人間関係も

気後れとか、煩雑とか、要求とか、心のなかにイチモツあったりして、

ただその人がそこに「ある」ことがうれしくてすばらしい

ということが後回しになってしまう。

その人をかけがえなく思っても、まあ今言わなくてもいいやという部分もあったりして。

 

ただひたすら受け入れられるという経験は、

もろもろ自分にくっついた「余計なもの」を洗い落としてくれたように感じました。



 

 

なのでね、

時には、「ひたすら受け入れられる」ってことが、

人には必要かもしれない。

 

ダメなところも弱いところもひっくるめて、

そのままのあなたが大切だよって、

言ってあげられたら…

言ってもらえたら…

それはすごい力になると思ったのでした。