気持ちが落ち着く習慣~色を使う

 

りっぽ
こんにちは!りっぽです

 

私は朝ちょっと早く起きて、朝活をしています。

今は冬、起きてもまだ外は真っ暗。

卓上の小さな素敵なライトをつけて

わずかな灯りの中で水彩筆をとります…。

 

夜明け前の暗闇で描く絵

 

パレットには左上から

レモン色、きいろ、朱色、あか、そらいろ、あお、

きみどり、みどり、おうどいろ、ちゃいろ

の透明水彩絵の具がでています。

透明水彩はパレットで固まった絵の具を水で溶かして使えるのです。

 

机の画板には八つ切り画用紙が置かれています。

筆は、大中小の3本。

パレットの絵の具の位置から色を選んで筆に含ませ、

紙に色を置いていきます。

 

わずかな灯りの中では、紙に置いたどの色も無彩色です。

ただ紙に「しみ」をつけていく。

でも想像の中で、色は広がっています。

 

ある程度全体的に色が置かれたら、筆をおきます。

5分程度の時間です。絵はおしまい。

画板を横によけて、パソコンを立ち上げてブログ作業にうつります。

 

明るくなってから見ると、「こんな絵ができている」と初めて知るのです。

 

色をつかうこと

 

こうして暗闇で描かれた絵は、色遊びのようなものですが、

この色をつかおう、と思うことで気持ちが落ち着く経験をしました。

朝目覚めて不安な気持ちがあったとき、

「初めにそらいろをつかおうかな」と思ったとたんに心が軽くなったんです。

 

色は感情と結びついています。

 

心の中で色をイメージして、

この色をつかおうと思うことは、

感情をコントロールすることにつながっています。

 

コントロールといっても抑制とか駆り立てるとかの意識的なものじゃなくて、

意識を離れた場所で

寄り添って包み込むような作用をしているのではと思います。

 

無意識をつかうこと

 

暗闇で描く絵は、うまく描こうという意識からのがれられています。

私の目からは、私の手の動きで紙にあやふやな無彩色のしみがついていくのが見えるだけ。

また、わざと左手で描くこともしています。

 

心の中でイメージしながら描いているけれど、

できあがった絵はそのイメージの通りではないのです。

できあがった絵の中には

不思議な形や美しい色の混ざり合いがあらわれていて、

そこから新しいイメージが浮かんできます。

 

そこがおもしろくて、この朝のワークを続けています。

 

ヘンリー・ミラーの幸せな朝

 

もう何(十)年も前なんですが、本の中で

作家で画家のヘンリー・ミラーの言葉に出会いました。

彼は、夜に絵を描いて、

翌朝どんな絵に出会えるかとドキドキしながら目覚めるのだと。

 

もう何の本で読んだのか、正確な言葉も忘れてしまいましたが、

自分が昨夜描いた絵を見るのを楽しみに目覚めるって、

なんて幸せなんだろう。

と、ずっと心に残っていました。

 

久保貞次郎はこう評する。
ミラーの絵には何物にも拘束されない自由さがあり、かれのえがくものにそそいだ限りない愛情がそこに定着している。
ミラーは深く対象物を愛する故にその愛し方を探して我を忘れる。ここにミラーの絵画の独自な技術が生まれる秘密がある。彼の愛はあまりに素朴で奔放なためそこから生み出された彼の技術を、技術としてみなすことを人々が怠るのではないか。

ときの忘れもの

 

ヘンリー・ミラーはおもに水彩画を描いていたので、

夜寝る前に集中して描き、

描ききって紙が乾く前に眠りにつき、

朝、絵の具が紙に定着して作品が出来上がっているのを初めて見る

ということだったのだろうと思います。

 

ヘンリー・ミラーは、前出の引用にあるように

我を忘れた状態で描くことに没頭しています。

無意識の状態でつくりだすものには、

意識を超えた力があります。

 

暗闇の中で描く絵の端にも

そんな「なにか」に通じるものがあるように感じています。